日本を出てから見えた、東京という街
わたしは日本人で、日本を出ました。何かから逃げたわけではありません。あるとき、自分は選んで日本にいるのか、それともなんとなく住み続けているだけなのか、確かめてみたくなったんです。
それで、出ました。台湾でしばらく事業を育て、そこからも移動を続けて、いまは35kgの荷物と一緒に、たどり着いた場所で仕事をしています。
出てみてわかった、誰も先に教えてくれなかったことがあります。自分の国は、一度離れないと本当には見えない。
その場所で育つと、そこは空気みたいなものになります。あって当たり前で、意識にすらのぼらない。
わたしにとって東京は「普通」そのものでした。自分のなまりが自分では聞こえないのと同じです。よその街で暮らし、ノマドらしくあちこちの街を比べてみて、ようやく東京を「生まれた場所」ではなく「いくつもある候補のひとつ」として眺められるようになりました。
生まれる国は選べません。選べるのはあとから。ほかの選択肢を見たあとだけです。
日本を出て初めて気づいたこと
外から見ると、東京についてよく言われることは、どれも本当でした。ただ、理由はガイドブックに書いてあることとは少し違います。
電車が時間どおりなのは確かです。でも、わたしが離れてから恋しくなったのは、その下にある静かな信頼のほうでした。物事はちゃんと回るだろう、まわりの人は気づかってくれるだろう、身構えなくてもこの大きな街を移動できるだろう。そう思っていられること。
それがどれだけ珍しいか、なくして初めてわかりました。
便利さも、いつの間にか見えなくなっていました。コンビニ、自販機、たいていのものが何時でも数分先で手に入ること。
それが当たり前じゃない土地で暮らしてみて、本当に当たり前じゃないんだと知りました。東京はこれがとびきり得意な街です。
場所に縛られずに働く人にとって、これは段取りで消耗しないためにいちばん効いてくる部分です。
それから、安全。ひとりで世界を移動する女性として、もうここを軽くは考えられません。
夜道を帰るあいだ、頭の片隅でずっと危険を測っていなくていい。これは大きいです。日本にいるとまるで意識しませんが、外から見ると、真っ先にリストに書きたくなることのひとつです。
「生まれた場所」ではなく「拠点」として見る
いちばん驚いたのは、ここです。東京が「なんとなく住んでいる場所」から「選ぶ場所」に変わったとたん、前より魅力的に見えてきました。
ノマドとして街を見るとき、住んでいる人とは違うことを考えます。ここで、ストレスなく働けるか。
気軽に出て、また戻ってこられるか。安全か、どこへでもつながっているか、自分が無理なく暮らせるリズムがあるか。
東京は、そのどれもさらっと満たしてくれます。空港が二つあって、アジアのほとんどの街へ短い便がたくさん飛んでいるのも強い。拠点として見ると、自分が育った街は地図の上でもかなり有力な候補でした。
離れるまで、それに気づけなかっただけです。
自分の生まれた国を、あらためて自分で選ぶ。そこには独特の自由があります。「なんとなく落ち着いた場所」が、「ほかを知ったうえで選んだ場所」に変わるんです。
この選び直しは、日本人だけのものではありません。東京を検討しているノマドなら、何十年も当たり前だと思い込む時間を飛ばして、同じところにたどり着けます。
出身地は、選ぶ場所になれます。ただ、はっきり見えるくらい長く離れる必要があるだけです。
東京を検討するノマドへ
簡単だとは言いません。東京は安くないし、手続きに時間がかかることもある。それに最初のうちは、言葉の壁が街の奥のほうへ入っていくのを、やんわり止めてきます。
どれも本当のことです。母国だからといって、なかったことにするのはずるいと思います。
それでも、ちゃんと回っていて、安全で、落ち着いていて、アジア各地へ出やすい拠点がほしい人なら、東京は本気で検討する価値があります。わたしがこう言えるのは、両側から見てきたからです。
何も見えていなかった内側からと、ようやくその正体がわかった外側から。
日本を出て、日本を嫌いになったわけではありません。むしろ、自分で選べるようになりました。
それは、ただ好きでいるよりずっといいことだと思っています。どんなノマドにも、そういう東京に出会ってほしい。
しかたなく住む街ではなく、自分で選んで、自分の拠点にしたくなる東京に。