35kgで生きる:ノマドCEOが実際に持ち歩くもの
わたしの持ち物は、全部で35kgに収まります。預け荷物ひとつ、機内持ち込みひとつ、バックパックひとつ。それが暮らしのすべて。服も、仕事道具も、国境を越えて持ち歩く価値があると決めた小さな山も。こう言うと、たいてい「ストイックだね」「よく我慢できるね」と返ってきます。でも違うんです。35kgで生きることは、わたしが持っている中でいちばん明快な「意思決定の道具」になりました。
最初から狙っていたわけではありません。日本を出て、台湾でしばらく事業を築き、そこからも移動を続けてきました。引っ越すたびに、同じことを静かに教わります。「念のため」で引きずってきたものは、ほとんど出番がない。そして自分が運んでいた重さの大半は、そもそも疑ったことすらない重さだった、と。あるときから、どう効率よく詰めるかを考えるのをやめて、もっといい問いを立てるようになりました。「どうやって入れるか」ではなく「そもそも連れていく価値があるか」。
持ち物のひとつひとつは、続いていく小さな決断です。身軽に暮らすと、その決断を意識してするようになるだけ。
35kgの中身は、実は地味
秘密があると思われがちですが、ありません。中身は地味で、その地味さこそが要点です。
だいたい半分は仕事道具。ノートPC、予備のドライブ、充電器、バッテリー、実際に使う二、三本のケーブル。服は一週間ちょっと分を、すべてが互いに合うように選びます。全部が組み合わさるワードローブは、そうでない大きなワードローブより軽いからです。新しい国で買い直すのが面倒なものを、小さなポーチにひとまとめ。そして、まったく実用的ではないけれど「わたしのもの」と言える、ごく短いリスト。借りた部屋を「通り過ぎる場所」ではなく「暮らす場所」に変えてくれるものたちです。
この最後のカテゴリーは、パッキング術が認める以上に大切です。身軽さとは、できるだけ何も持たないことではありません。自分にとって本当に重みのある数点を正直に認めて、それ以外のほとんどを手放すことです。
荷物が減るほど、自由が増える
分かりやすい利点は、身の軽さです。持ち物が少ないと、街を移るのは午後の作業であってプロジェクトではない。物事に早く「はい」と言える。急に決めた一か月の滞在も、引っ越しではなくただの決断になります。
でも、もっと大きな利点は静かなところにあります。すべての持ち物に居場所を証明させると、「選択肢がある」ことと「自由である」ことを混同しなくなる。着ない服でいっぱいのクローゼットは自由ではなく、先送りし続けている決断です。35kgは、その決断を一度で迫り、そのぶんの注意力を返してくれます。
その注意力こそが本当のご褒美です。持ち物を減らしても、人生は小さくなりませんでした。むしろ大事な部分に余白ができた。仕事、移動、人、次の場所。手放したものの大半は、一度も恋しくなっていません。
自由とは、あらゆる選択肢を開いておくことではありません。本当に持って歩きたい数点を知り、残りを置いていくことに引け目を感じないことです。
東京は、身軽な人にやさしい
ここで東京の話になります。35kgで生きる人にこれほど優しい街は、そう多くありません。部屋は狭い。でも、すべてがその前提で作られています。賢い収納、詰め忘れたものが必ず買える角のコンビニ、荷物を持ち歩きたくない日のコインロッカー、切符にも財布にもなるスマホ。着いて、荷物を置いて、一時間もあれば機能できます。
「たくさん持っている前提」の街は、持ち物の少ない人を罰します。東京はその逆を前提にしている。狭い空間を、必要なものだけ持って動く人のために設計されていて、それはまさにわたしがすでに送っている暮らしです。身軽なノマドにとって、この相性の良さは「ただの立ち寄り先」ではなく「拠点にする理由」になります。
荷物を小さく保つ、本当の理由
いまなら、もっと持つこともできます。35kgはもう制約ではなく選択で、わたしはそれを選び続けています。この荷物が、実はそれ以外のすべてを測るフィルターだからです。新しいものが重さに見合うと言い切れないとき、それは他の場面で簡単に出しすぎている「はい」の小さな予告編になります。あの打ち合わせ、あの約束、悪くなさそうで実は返ってくるより多くを奪っていくプロジェクト。
荷物を軽く保つことは、それ以外について正直でいさせてくれます。これがわたしの生き方の哲学そのもので、荷物用の秤ひとつに詰まっています。人生は、意識して、自分で選んでいい。そして、それを引き受けていい。35kgは、わたしがそれを練習している場所です。